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- 第1章 会社の歩みと理念 創業の想い:なぜモノづくりを始めたのか 〜第1話〜

第一章
会社の歩みと理念
創業の想い、
なぜモノづくりを
始めたのか
〜第1話〜
はじめまして。
本日からコラムを連載させていただくことになりました加茂繊維株式会社 会長の角野充俊です。こちらのページに訪れていただき、
ありがとうございます。つたない文章ですが加茂繊維の歴史やモノづくり、そこに集う素敵な人々や苦しかったこと、感激したことなど、
様々なわが社を取り巻く出来事をお伝えできればと思いコラムをスタートしました。
第一回目は、加茂繊維の創業についてお話しさせていただきます。
創業の原点、シベリアからの帰還と父の事業
加茂繊維の創業者は角野敬冶、私の父です。
敬冶は第2次世界大戦終了時にシベリアの捕虜収容所で終戦を迎え、京都府舞鶴港に上陸後、汽車で岡山まで帰郷しました。
加茂町は当時岡山県の町村で最大の面積を持つ地域ながら、山林率が90%を超える山林の町。
終戦後産業がない中、炭焼を始め生計を立てることになります。その後、山林資源を活用し割り木、造林、チップ生産、シイタケ栽培等を始め角野商店・角野林業として岡山中部までの山林の伐採造林事業を行うようになりました。

加茂繊維の誕生、グンゼとの運命的な出会い
敬冶57歳の時に取引先より、グンゼ久世工場を紹介され、加茂繊維株式会社が1973年に創業しました。その時グンゼ久世工場より出された条件が、1か月以内に現金5000万円、社員100名の募集。
結果的に1か月で全てクリアし、無事グンゼ久世工場の協力工場としてスタートしました。

高い品質へのこだわりと初期の成功
開業までの3か月間は、まだ未舗装の道路をマイクロバス4台を連ね、毎日1時間半もかけ3か月間実習を行います。
当時工場から加茂繊維まで反を運ぶと胆幅が2cmも変わるために加茂繊維用の反幅に調整をして運んだとのこと。
今では考えられない高度な品質体制が想像できます。
創業時は、グンゼ肌着の長ズボン下を日産6500枚生産するようになります。その後、海外製品に対抗する為にローププライス商品モデル工場として5000万円近い設備投資をして、紳士ブリーフの生産を開始。
実に日産10000枚を誇っていたのです。
