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- 第1章 会社の歩みと理念 創業の想い:なぜモノづくりを始めたのか 〜第2話〜
第一章
会社の歩みと理念
創業の想い、
なぜモノづくりを
始めたのか
〜第2話〜
大量不良の発生と社員の結束
ところが好事魔多しのことわざ通り、加茂繊維は大量不良を発生することになります。
生地を伸ばすと糸が切れる糸切れ不良です。
なんと約1か月分のブリーフの最終工程で発生しました。
当時の社長以下約80数名が1ヶ月間来る日も来る日も糸をほどき、縫い跡を水につけて消し、さらに縫い上げて仕上げ包装をする。
朝から晩までその作業を分担して行ったそうです。
さらに全社員が責任を感じ家に持ち帰り、夜なべをして直しに協力してくれたそうです。
当時の社員Tさんの言葉「来る日も来る日も直しをするのはつらかった。でも皆が責任をもってやりきった。私も子供を寝かせて毎晩、ほどきをしていました。モノづくりにおいて品質がいかに重要かを痛感した」と。
また当時の社長は、全ての直しが終わったらグンゼ本社に出向き大変な不良を起こしたことへのお詫びと廃業の意思を伝えようと決意していたそうです。 すべての商品を納品した後、本社に出向きお詫びと廃業を申し出たそうです。 その時の心境はとてもつらく、無念だったと思います。
激励と品質へのこだわり
ところが、当時のグンゼI社長が現金を用意し「よく頑張った、これで社員と共に頑張れ」と思わぬ激励を受け、その後の加茂繊維は品質こそ命としてモノづくりに精進し、実に4年間QA(品質監査)パーフェクトを実現したのです。
これが今もわが社の伝統として息づいているのです。
「ものづくりは人づくり」「金の品質 銀の価格」「清き心に、清き糸が出来る」すべては親メーカーの教えを真摯に学び、モノづくりを追求初いていく原動力になったのです。
建築家から家業の経営者へ
そんな時代を私は京都で建築家として過ごし、父の会社を継承するとは夢にも考えていませんでした。
後継者は姉と考えていたからです。
その姉が結婚してしまい、結果後継者がいなくなりました。
父が72歳の時、父から電話があり「年を取ったのでそろそろ会社を廃業しようと思う」と。 私は「そう」といったものの、自分の夢だけを追い続けてこれたのも、家族と加茂繊維という会社があったからこそと考え「翌日、俺が帰る」と宣言して、京都に事務所を残したまま2足の草鞋を履き帰郷することになったのです。
実は私は、会社に一度も足を踏み入れたこともなく、多くの社員は息子の存在すら知らなかったのです。
帰郷当初は、工場の管理運営ぐらい簡単にできると思っていたのですが、理想と現実のギャップは大きく、その後、悪戦苦闘をすることになるのです。
(つづく)
閑話休題:BSファインがタイで売れる理由
先週タイのメーカーと商談を行いました。
まだ20年目の会社ですがわが社と同じように研究開発型企業で、社会課題を真剣に解決されています。
わが社は13年前からタイバンコクの伊勢丹百貨店でBSファインを販売していましたが、日本の百貨店が撤退する中、今は現地の百貨店サイアムパラゴン4階で販売をしています。
当然彼らは知らなかったので、早速帰国したらショッピングに出かけるとのこと。
何故、暑いタイで売れるのかと聞かれますが、外気温は36度でも冷房の温度は20度。
暑い屋外から冷房のきつい室内に入ると床はキンキンに冷えた大理石の床。
素足にサンダル履きのタイ人は冷えで悩んでいたのです。
BSファインは発熱するのではなく身体そのものが熱源なので、温かくても熱くならない。
だから着ているほうが汗をかかず、暑い屋外から冷房の効いた室内に入っても一瞬冷っとしても汗冷えしない。
さらに、かいた汗が弱酸性になるからサラッとしてべたついたり蒸れない。
実はヘビーユーザーから「暑くも寒くもない。一枚で身体の冷え方がウソの様に違い手放せない」と喜ばれているのです。
ぜひ夏の寒暖差疲労や汗冷え、臭い、眠りでお困りの方は一度試してみてください。








